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名古屋のウェッサイカルチャーをリードする
「WORLD MIX ENTERTAIMENT」と
「HIP HOP TV JAPAN」
共同主催コラボ・イベント
『LAX2JAPAN TOUR VOL5』当サイトでは、来日アーティストからの
メッセージビデオや、楽曲やPVの紹介、
来日時の写真掲載などを行ないます!『LAX2JAPAN TOUR VOL5』は、
米国から4組のアーティストが
同時来日するビックな企画!Feelingだけで持っていかれる、
その豊富な経験からLIVE展開や
客のツボを熟知。
90年代初期から第一線で活躍している
本場ARTISTは、
本当にLIVEがかっこいい!今回のTOURを通じて、
WEST COAST HIP HOPカルチャーを
より幅広い方々に知って頂ければと
思っています!MIYOSHI
(HIP HOP TV JAPAN 編集長) -
West Coast Hip Hop黄金期時代の
90年代初期に、その名を轟かせた
名門レーベルDeath Row。
オリジナルメンバーとして、
2PAC、SNOOP DOGG、
DR DREらと所属、
シーンの最前線に上り詰めた
『DAZ DILLINGER』が、
数えきれない程のHIT曲を引っさげて
待望の初来日が決定!!更にfeat.AKONとのメガHIT曲
「Certified」が記憶に新しい
『G-MALONE』、
『BIGG STEELE』も
新曲を多数引っさげて同時来日決定!!DJはもちろん、
DJ COKE-E from POWER106FM、
WORLD MIX ENTERTAINMENT
を主宰し、本場ビッグアーティストを
日本に来日させ、
日本と本場USAとの大きな
架け橋的な役割に身を置く、
DJ SIDE2!!!
3/18 Daz Dillingerほか、米国からのゲストアーティストが、
無事、中部国際空港に到着しました!
2/7 Daz Dillingerからビデオメッセージが届きました。
本名Delmar Arnaud。
1973年5月25日にカリフォルニア州ロングビーチで生まれる。
10代の頃、彼は従兄弟のSnoop Doggと同じアパートで暮らしていた。
そのアパートにはNate Dogg、Warren G、Kuruptなどが出入りするようになり、
結果Dazには多くの仲間ができた。
そして後に彼等はD.P.G.ファミリーとなるのだった。
Dazは仲間のSnoopやNateと同様にDeath Row Recordsと契約後、
Warren Gの紹介でDr.Dreと出会う。そしてDreは彼を気に入り、
同時に自らのアルバム「The Chronic」へ参加させた。
92年にリリースされたそのアルバムは大ヒット、
SnoopやNateの名もさらに世間に知られる事となった。
その後もDazはいくつかののサウンドトラック等に参加し、その才能を発揮した。
95年、ついにKuruptと共にTha Dogg Poundを結成。
同年「Dogg Food」をリリースする。このアルバムではSnoopやNateが共演し、
DazはDreと共にプロデュースもこなした。
結果アルバムはダブルプラチナアルバムに輝き、
Tha Dogg PoundはDeath Row Recordsの名を一層上げたのであった。
96年、2Pacが凶弾に倒れ、更にDreがDeath Row Recordsを脱退。
続いてSnoop、Nate、KuruptもゾロゾロとDeath Row Recordsを脱退していった。
こうしてDazだけがDeath Row Recordsに残ってしまう。
Dreがいなくなり、プロデューサーはDazがほとんど行うようになった。
さらにしばらくするとDeath Row Recordsの社長Suge Knightまでもが
懲役刑によりいなくなってしまう。
それによりSugeがいないレーベルの責任はDazにのしかかっていった。

98年、1stソロアルバム「Retaliation, Revenge & Get Back」をリリース。
これまではDat Nigga Dazと名乗っていたが、この時Daz Dillingerに改名。
"Dillinger"は義賊として有名なギャングのJohn Dillingerから由来する。
アルバムはよく売れたのにも関わらず、
Death Row Recordsから十分な給与が支払われなかった。
レーベルを信用していたDazはそれに落胆した。
99年ごろになると既にDeath Row Recordsは崩壊しかけていた。
これを受けてDazは自らのレーベルD.P.G. Recordsと
Gangsta Advicary Recordsを設立。
そして2000年に2ndソロアルバム「R.A.W.」をリリース。
多くのウェッサイアーティストと共演したにも関わらず、
Death Row Recordsに関わっていたせいか
メジャーではあまり売れ行きはよくなかった。
しかしアンダーグラウンドなウェッサイファンには人気があり、
完全な失敗作という訳ではなかった。

2001年、D.P.G. RecordsからKuruptと共に
DPG名義で「Dillinger & Young Gotti」をリリース。
(アーティスト名をDPGとしたのはTha Dogg Poundの名は
Death Row Recordsが所有していた為である。)
同年、今度はDeath Row Recordsから
Tha Dogg Pound名義で「2002」をリリースした。
2002年ごろ、Tha Dogg Pound(DPG)として2人の結束力が増し、
さぁこれからと言う時に問題が起きる。
Sugeが、DazとKurupt両者に嘘を吹き込み2人を仲違いさせてしまう。
具体的にはKuruptがD.P.G. RecordsからDeath Row Recordsへ
移籍してしまった事がある。これ以来、
DazはKuruptと一切連絡を取らなくなり、関わりも持たなくなった。
3年経っても依然その関係は変わらなかった。
しかしある事がきっかけで2人は再開を果たす。
Dazが家族とディズニーランドへ来ていた時、
なんとたまたま来ていたKuruptとそこで再開したのだ。
その奇跡に2人は感動し、互いに話し合った結果2人は和解した。
その時DazはSnoopの連絡先をKuruptに渡し、
Tha Dogg Pound再結成の企画が持ち上がった。
そして2005年遂にTha Dogg Poundは再結成した。
Dazは2006年にSo So Def Recordsから「So So Gangsta」をリリース。
そして現在もグループとしてのアルバムはもちろん、
ソロアルバムも精力的にリリースし続けている。
Tha Dogg Pound - What Would You Do?
Daz Dillinger - In California
1991年に設立され1993年、ギャングスタラップという過激なスタイルで
ヒップホップ業界に殴りこみをかけたデス・ロウ・レコーズ。
設立者はボディガードから時代のトップ・レーベルにまで押し上げた
豪腕起業家"シュグ・ナイト"。
N.W.A.時代にアイス・キューブらと共に一時代を築いた後、
デス・ロウ・レコーズの共同設立者にしてトップ・アーティスト、
ラップ界のトップ・プロデューサーとして君臨した"ドクター・ドレ"。
本拠地をロサンゼルスに置き、数々のアーティストを世に見出してきた。
共同設立者でもある"ドクター・ドレ"、そのドクター・ドレに才能を見出され
ウエスト・コーストを代表するギャングスタラッパーとなった"スヌープ・ドッグ"、
そしてデス・ロウ・レコーズに移籍後、東西ラップ抗争に巻き込まれ
1996年にラスベガスで若くして凶弾に倒れた永遠のカリスマ"トゥパック・シャクール"、
そして今回来日を果たすDAZ DILLINGERとKURUPTとのユニット
"ザ・ドッグパウンド"らビッグスターらが所属するこのレーベル。

しかしこのレーベルには血と犯罪の噂が耐えなかった。
その噂の数々はメディアに大々的に取り上げられ、
さらにその残虐で暴力に溢れる歌詞の内容に市民団体は異論を唱え、
政府も難色を示したほどである。しかしレーベルとして中には
900万枚を超える大HITを未だに飛ばしているアルバムも存在している。
そしてなんと設立から2007年までのリリースの中で、約17ものゴールドディスク、
プラチナムディスクを獲得しているという快挙すら成し遂げている。
HIP HOP史上他に類を見ないモンスターレーベルである一方、
WEST COAST HIP HOPを不動の地位に持ち上げた
最重要レーベルという事は誰もが認める事実であろう。
一世を風靡した、元デス・ロウ・レコーズの
DAZ DILLINGERの初来日は
まさに日本のWEST COASTカルチャーに
激震を走らせる事は言うまでもない。






















